ねじれて見えたもの(2007年の再掲)

今回のコロナ騒動を経て、やはりこの国の議会に必要だと感じ、2007年のものを再度アップいたします。


ちょっと前になりますが、党首会談、大連立という動きがありました。
ねじれちゃうとそうしないと物が決められないのか・・・腑に落ちませんでした。

その理解を助けてくれる論文がありました。

政策研究大学院大学教授 飯尾 潤先生による「現論」がそれです。与党による法案の事前審査制について書かれています。恥ずかしながらそれをそれほど問題視していませんでしたが、これはポイントなのではないでしょうか。

以下に抜粋いたします。

「意見が違うからといって、国会審議による調整ができないというのはおかしい。
与党が両院で多数を占めていても日程の都合で成立しない法律が出る半面、修正によって法案を成立させようとする事がほとんどなかった・・・

その背景には、与党による法案の事前審査制がある。これは、内閣が法案を国会に提出する前に、自民党などの与党の了承を必要とするという慣行である。与党が国会で法案に賛成するためには、その内容を確認するのは当然である。しかし、事前審査を前提として、国会審議の前に与党議員に内閣提出法案に賛成する義務が課せられるというのは、当然ではない
国会議員の投票を縛ることは、議院内閣制を採用する国で広く行われているが、通常は議会の委員会審議が終わるころに行われる。議会で法案の修正などが行われることを考えれば、審議を受けて議員が態度を決めるのが自然だからだ。
ところが日本では、国会で議論を始める前に法案の細部にまで与党の賛成が決まってしまう。
これは立法における官僚の影響力の強さの表れだ。官僚の立場から見れば、事前審査制は他の省庁の官僚だけではなく、与党議員を中心とする政治家を説得し、内容を調整することを意味する。つまり、国会審議前に法律の内容を固めてしまうことにより、担当省庁の官僚が主導権を持つことができるのだ
官僚による根回しによって物事が進むことに慣れた政治家たちは、法案の中身に注文をつけたり、法案を了承する代わりに行政に口を出すことがあっても、その骨格を検討することは少ない。
しかし、衆参の多数派が異なる現状では、賛成反対を明らかにするだけでは物事は動かない。政治家同士の討論を重ねるなかで、双方の違いと共通点を明らかにしたうえで、妥協できるところは妥協した方が実り豊かである。
国会審議という表舞台で法案の中身を検討するには、政治家にも随分と力量が必要である。しかし、日本の国会議員だけが、官僚の根回しがなければ法案審議ができないというのはおかしい。困ったことの多い衆参のねじれではあるが、それを契機に政治家同士の討論を活性化させるべきではないのか。
(中略)
「困った困った」というだけでなく、「ねじれ国会」を動かす地道な努力を重ねることで、国会のあり方も正常化するのではないか。変革期にある日本政治においては、先例にとらわれず、問題解決の努力を続けることが必要である。」

この指摘が改善されなければ、政権交代しても同じなのでは・・・


合理的に議論し、結論を得る事に…

マスコミや私たちも慣れていかないと、ポストパンデミックは乗り越えられない…

議論=波風を立てる…ではない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました